「NHK大河ドラマ「風林火山」について 信玄と勘助」

私は、戦国時代の武将の中で好きな人物は、織田信長でもなく、豊臣秀吉でもなく、はたまた徳川家康でもなく、昔から武田信玄と山本勘助が好きである。そこには、失敗を経験し学ぶことや様々な人材を受け入れる人間的器と家臣や民を慈しむ情がある。そして、周知の通り、信玄と勘助で歩んできた人生をかけて戦った宿敵、上杉謙信との川中島の戦いには男のロマンさえ感じられる。武田信虎を追放してから破竹の連戦連勝の信玄だが、力でねじ伏せるというかつての信虎のような傲慢さにいつの間にかになり、反面負け戦への恐怖から聞く耳を持たない時期があった。それを板垣信方と甘利虎泰が自分の命をかけて戦い、両重臣を村上義清との一戦で失うことにより、大きな悲しみと自分自身への改心があった。時を経て、川中島の戦いの前には、家臣や甲斐・信濃の民全てを慈しむという「心」を持つ意味を形にして出家した。川中島では、多くの将を失い、とりわけ勘助は策略を誤ったことに責任を感じ、敵陣中を駆け巡り無念の戦死。この山本勘助は四十を過ぎてより板垣信方によって武田に招かれた。戦略に長け、体も不自由ながらも剣術にも優れていたが、今川や北条も勘助を受け入れなかった。しかし、武田信玄は勘助の人物を見抜いていた。ここも信玄の器の広さといえる。勘助は戦わずして勝つ策略を巡らせ、信玄もその考えにのり、常に武田を勝利へ導いた。兵を如何に減らさず・労せずに戦に勝つかという勘助の信念がある。また、勘助は、武士であり続け、仕官を諦めなった点とハンデがあるにもかかわらず、それを逆にバネにしてきたことにも共感できる。このように武田信玄は情に深く、失敗で改心できる人物で、人間的度量が広い。一方で山本勘助は、仕官という夢を諦めず、遅咲きではあるが武田の軍師にまでなった。この二人の関係や人物像に多くの共感があり、とりわけ人を重んじる精神に心を打たれたからこそ私が、武田を好む所以である。最後に、武田信玄の言葉で好きな言葉を挙げておく。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵也」正に武田信玄の人への信頼や情を端的に表しているように思える。

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コメント: 4
  • #1

    Palmer Piggott (木曜日, 02 2月 2017 03:33)


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  • #2

    Nerissa Seely (木曜日, 02 2月 2017 06:46)


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    Harold Lettinga (金曜日, 03 2月 2017 11:38)


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    Harold Lettinga (金曜日, 03 2月 2017 17:51)


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L'âge d'or /円谷尚智