「日本の学歴社会による実態(学歴格差)」

「日大か無理だな」という記事

http://careerzine.jp/article/detail/1325

 

大学卒業後とある雑誌で人事の方々が座談会形式で意見を述べて赤裸々に学歴重視の見解を述べていたので学歴差別があるのはよく知っていました。

例えば、ある有名企業の求人があり、そこには大学卒と記載されているとします。勿論、「大卒」ならば応募資格はありますので応募は受けつけ選考基準になります。しかし、これは表向きの易しい書き方であり、実際、人事の採用担当は「●●大学以上」とか「6大学の書類は取敢えず通す」など裏の内規があるのです。つまり、端からマイナー大学や無名大学は選考基準外になっており、有名大学出身者が優位に進んでいくよう品定めされていることは事実です。当然、新卒でも同様のことが言えます。また、これは日本古来から今日に至るまで受け継がれている学歴社会の実態です。これでも昔よりは多少、緩和されてきています。団塊の世代が学生時代の時のように国立大学が絶対的な権力を持ち、とりわけ東京大学が金科玉条のごとく扱われていた時代とは少し状況は違ってきています。今や東京大学の方でも就職活動は苦しむ時代です。
色んな雑誌や人事の見解を総括して考えたとき私は一つの結論に到達しました。つまり、特に日本の超優良企業や財閥系商社などになればなるほど、高校も一流高校、大学も一流大学、そしてその一流大学の中でも「A」が20個以上や「A」が全体の割以上か占めている人が、ある程度の段階まで進み、その中で面接でのPRが優良な方が最終的に内定を掴むのだという見解が生まれました。ただし、就職活動にも波乱はつきものです。このような実態を覆すような番狂わせは往々にして起こることもあります。企業とは多様な人材を求めます。例え、中堅私大でも傑出した人材であればある程度の優良企業に採用されるケースはあります。
上述の記事には悲しいかな母校があっさり切られるという内容が記載されています。
しかし、悲しむのではなく、この学歴格差に打ち勝つべく日々の努力で自分の才能や能力を磨くことが大切だと思います。
例えていうなら、先日のコラムにもあるように当時、日ハムにいた小笠原選手と巨人の仁志選手だったらどちらになるべきかということです。つまり、小笠原は選手としては仁志より優れているがブランド球団に属してない、一方で仁志はブランド球団にいるが選手としては劣るわけです。

たとえ有名企業に入社出来なくても意を決して入ったところで小笠原選手のように自分の個々人としての能力や才能を磨くことに意義があると思います。
また、出身大学についても同様に自分の入学した大学で精一杯、努力することが大切です。「鶏口となるも、牛後となるなかれ」の言葉が表わすことにも一理あるように思えます。

L'âge d'or /円谷尚智