「野村克也監督の波乱万丈人生」

 先日、現楽天監督野村克也の特集がテレビで放映されていた。その人生は波乱万丈であり、厳しい人生を歩んできたことがよくわかった。
野村は、幼少の頃より家が貧しく、病弱な母と兄との生活であった。小学校の時より、毎朝、人より早く起床しては、新聞配達に励んでいたという。寒さの激しい日には手がかじかみ辛い仕事であったようだ。当時は、新聞配達の収入が家賃になっていた。その時から、野村は、色々な物事を考えるということを覚えた。例えば、新聞配達であれば、どの道順で配るのが最短コースかや中学時代に行ったアイスキャンディー販売では、どういうところで売ればより多く売れるかを常に考えて仕事をしていたという。野村克也のID野球という「考える野球」の原点はここから始まったのではないだろうか。
貧しい家庭環境ゆえに野球をやるにしても木の棒をバットに見立てて練習していた。その極貧生活から抜け出し、現役時代は、三冠王獲得や通算本塁打数は、王貞治に次ぐ史上2位である。キャッチャーとしてもバッターの心理を読む意表をつくリードが有名であった。ヤクルトの監督になった野村は、世に言うID野球という全く新しいキャッチャーの攻め方・リードの理論を中心に、野球のセオリー・考え方、圧倒的なデータ収集により統計学を用いたデータ分析による野球を行った。これらを選手個々人に指導することで弱小球団が強い球団にいかに勝つかということを世に知らしめた。つまり、弱いチームは、強いチームに野球の戦略によって勝つということである。
また、彼には、巨人への一種の憧れがある。常に第一線で野球界をリードしてきた巨人の華々しさや伝統が今も昔も彼の心を魅了しているのだろう。一度でいいから、巨人のユニフォームを着て、監督をやってみたいという夢はあるのではないだろうか。長嶋茂雄氏が監督をされていた時、当時ヤクルトの監督だった野村は、長嶋氏を向日葵、自分を月見草と称していた。私は、当時、僻みのように聞こえて野村を誤解していた。楽天の監督になった今も野球方針は変わらないだろう。実際、楽天の勝ち星は確実に伸びている。試合後のインタビューには、味のあるボヤキがあり、昔あったような変なクセや陰気さが抜けているのがヤクルト時代と変わった点ではないだろうか。そこには、人を褒めるということを取り入れたようだ。私は、ヤクルト監督時代の彼の人柄を誤解していたため好きになれなかったが今は、とても好きである。幼少の頃より、貧しいため誰よりも辛く険しい人生であったことだろう。生きることや生活するのに必死だったのではないか。そんな貧しさにも負けず、愚痴をこぼしたり、人生を投げ出さないで一生懸命歩んできたことには大変、心を打たれた。彼は、野球に人生を委ねることになった時から、貪欲な練習や向上心、雑草魂や根性で球史に残るまでの成績をおさめるだけでなく、監督としても名将になった。努力は報われる日が来る、誰でも努力次第で成功できるということを物語っている。恵まれていないことや困難があっても、イジけて人生を決して投げ出したり、諦めてはならないということだ。
先日、巨人との交流戦で勝った楽天。試合後、野村監督の「馬鹿じゃなかろうか ルンバ」発言による巨人首脳陣への批判ともとれる発言。これを聞くと一見「なんなんだ」と誤解されるかもしれない。しかし、彼の歩んできた背景知った今、この発言に私は違った見方をしている。かつて常勝軍団だった強い巨人への憧れの想い。今の巨人は、弱くて情けない。そして、今一度、強い巨人に戻ってもらいたいという彼なりの巨人への愛情なのではないだろうか。自分が憧れを持ったものには、常に高嶺の花で輝いていてほしいというのが人間の心理ではないだろうか。他球団に居ながら未だ巨人への憧れを抱いている野村監督は、素晴らしいと思う。そして、出来ることなら巨人の監督をやらせてほしいと感じる。巨人も保守的でいつまでも巨人出身という内部派閥に捉われてはならない。堕落していて、適任者がいないからこそオープンにして、実力のある者を外部から招聘してこなければならないはずである。野村監督の生き様や人間模様、心を知り大変、励まされました。元気で、末永く監督業を続けてほしいと願います。

L'âge d'or /円谷尚智