「孤独のグルメ」と「アイアンシェフ」のテレビ番組における比較・検討を通じて見えた現在の日本社会の実情

 近年、テレビ東京系で放映されている「孤独のグルメ」というテレビドラマが人気を博している。本作は、元々、原作・久住昌之、作画・谷口ジローによる扶桑社の「月刊 PANJA」にて1994年から1996年に渡り掲載された漫画を実写化したドラマである。既に2012年から2014年の間でSeason1からSeason4までと実に4シリーズが放映された。深夜の時間帯でありながら視聴率は良好で、多くの人々に支持されたグルメ番組である。

このドラマの構成内容は、個人経営で輸入雑貨商を営んでいる主人公の松重豊が扮する井之頭五郎が商談先の各地に赴き、その土地を散策して、店を選ぶ。その店のメニューの中から自分の今、欲している料理を入念に選択して、ただひたすら料理を食してその心理描写を表現していく形式である。なお、主人公が訪れるお店は、高級料理店ではなく、所謂、B級グルメと呼ばれる大衆的な食堂・料理店である。正にリーズナブルな値段で食べ応えのある料理で空腹を満たすという趣旨を具現化している。また、実際に存在する料理店を題材にしているので、ドラマの描き方は、ドキュメンタリーの手法を用いている。

 一方で、近年、不人気であったグルメ番組を挙げるのであれば、フジテレビ系の「料理の鉄人」の復刻版として期待された「アイアンシェフ」である。本作は、2012年10月の放送開始から僅か6ヵ月間の短命番組となった。短期間で番組が終了した要因は、やはり視聴率の確保が出来ず、それが著しく低かったことである。「料理の鉄人」の主宰・鹿賀丈史、和の鉄人・道場六三郎、中華の鉄人・陳健一、フレンチの鉄人・坂井宏行から「アイアンシェフ」では、主宰・玉木宏、和のアイアンシェフ・黒木純、中華のアイアンシェフ・脇屋友詞、フレンチのアイアンシェフ・須賀洋介を新たに任命し、キッチンスタジアムと呼ばれる厨房のデザイン、メインテーマの音楽も併せて一新した。なお、アンアンシェフの構成内容は、毎回、テーマの食材が一つ挙げられ、それをアイアンシェフと挑戦者が自由な発想とアイデアにより制限時間内で料理を創作していくという形式である。その後、複数の審査員が両者の料理を食べながら、様々な薀蓄やコメント、総評を述べた上で採点する。合計の点数が高いほうが勝者となる。これは、初代番組の「料理の鉄人」の構成とほぼ同一である。しかし、「アイアンシェフ」は、かつて約6年間、高い人気を維持した「料理の鉄人」には程遠く、挑戦者の料理人も大御所の出演はなく小粒になり、視聴率は上がらずに番組終了という非常に厳しい現実を突き付けられた。

 このように「孤独のグルメ」は、現代の日本の視聴者に受け入れられ、人気を博し、かつて高い人気を誇った「料理の鉄人」の復刻版である「アイアンシェフ」は、多くの人々に受け入れられず、低迷の末に短命番組に終わってしまった。

 しかしながら、両番組の歴然たる差が生まれた要因とは、一体、何であるのだろうか。この主な要因の背景には、やはり世相というものに合致しているか否かが大きな要素となっているのではないだろうか。今日の日本社会は、バブル経済が弾けて以来、長期に渡る経済不況に陥り「失われた20年」と称される不景気がずっと続いている。従って、「料理の鉄人」が流行していた時代とは、日本の経済事情は大きく異なり、「アイアンシェフ」のような高級食材を扱った高級料理は、美味しいのは当たり前のことで、多くの現代人にとっては、アイアンシェフクラスの料理人が営む高級料理店で食事をするのは経済的にも非常に困難である。一方で、「孤独のグルメ」は、決して高級料理ではなく、主人公が商談に訪れた町の中にあるB級グルメのような大衆的な料理店であり、経済的に厳しい現代人にとって親しみ易く、心にもとても優しい内容である。

この両番組における視聴者側の心理的な受け取り方を代弁するならば、「孤独のグルメ」は、現代の経済不況という世相に合っているが故に非常に好印象であり、「アイアンシェフ」は、世相に合わない手の届き難い高級料理をテーマに扱っているが故に不快感や嫌味さえも含んだように受け取られることは数多あると容易に推察出来ると同時に不人気の一因ではないだろうか。また、現代の日本社会は、「格差社会」という大きな問題に直面している。「経済格差」、「教育格差」をはじめ、あらゆる場面で「格差」が存在する。更に、結婚率も経済不況に陥ってからは、低迷の一途を辿り、独身者は増える一方である。先述したように「アイアンシェフ」に出演する料理人達の営む高級料理店で食べることの出来る方々は、今日の日本社会で生きる人々の中ではかなり限定されてしまう。そこには、身分や地位による個々人の収入や所得の要素が介在し、食べることにおいてさえ必然的に格差が生じている。

しかし、「孤独のグルメ」は、一人でひたすら食べる姿を映し出し、それは自分自身の中での孤高の行為であり、至福の時間であるというテーマをダイレクトに描いている。これは、正に「食べる」という行為は、誰にでも平等に存在し、格差などは生じないという平等性を謳っていること、更にそれを一人(=自分)だけの至福の時間であるとしている部分は、我々、現代人が求めている権利や現代日本社会の実情及び現代人の生活様式をも的確に捉えていることが人気の理由である。言わば、「孤独のグルメ」は、「アイアンシェフ」のアンチテーゼとして生まれたテレビ番組であると言えよう。また、食べている時の感想も「アイアンシェフ」の審査員のように薀蓄や格式張ったコメント、総評を述べるのではなく、主人公の心理を端的に表現した呟きのようなコメントもTwitter(ツイッター)などが流行している現代にはよく合っている。顧客や人とのコミュニケーションでさえもIT革命の只中にある今日においては、PCによるインターネット上やメールでのやり取りが大半である。

これに対して「孤独のグルメ」では、商談のために訪れた土地を散策し、その土地の様々な風景に触れながら人々との触れ合いも同時に大切にしているところも心温かな内容であり、大変、秀逸である。これは、古き良き時代の風情を描き、現代を逆説的に捉えた良点であると言える。

 いつの頃からか日本は、人と競争するような社会へと変貌していった。確かに人と切磋琢磨していると言えば聞こえは良いが、特に何かにつけて勝った負けたを日頃から気にする世の中であり、勝ち組や負け組というレッテルを執拗に貼りたがる世情において、「アイアンシェフ」の料理における熾烈な勝負は、正に競争社会を彷彿とさせ、勝敗の出る決着は、我々、現代人の多くは、心地の良い内容とは決して言えず、寧ろ心の痛む思いをする方が意外と多いかも知れない。結局、料理やグルメとは、自分が満足することが大切であり、それは己の世界である。勿論、味も己の主観であるが故に自己満足と自己完結の「孤独のグルメ」に描かれた世界が料理やグルメにおける世界観そのものであり、「究極」なのではないだろうか。

 一連の「孤独のグルメ」及び「アイアンシェフ」におけるテレビ番組の対比、比較、検討を通じて、世相を的確に捉えながら視聴者や受け手の気持ち、求める内容を汲み取ることの大切さを改めて実感させられた。また、そのような世相を捉える視点や受け手の気持ちを斟酌することは、毎日、生活する我々の日常の中で、相手の気持ちや立場を考え、理解しながら思い遣りの心を持って、心温かに過ごすことで養われるものではないだろうか。

つまり、多くの優れた内容、作品、物などを創造することにおいてもまた様々な人々の状況やニーズを反映させ、心を高めながら、相手への思い遣りの心が根底にあってこそ初めて優れたものに仕上がるのである。

そのようなことを今日の日本の世相を窺いながら考える今日この頃である。


L'âge d'or /円谷尚智